文藝音楽

音楽について熱く語ったレポートを書いた。久しぶりにとてもいい文章を書けたと思うので共有したい。

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 私は”音楽”という一種の芸術の中に、様々な情景を思い浮かべる。たった数分の、たった数秒のあの時間に多くの言葉、メッセージ、情景が含まれ、映画の様な一つの作品として、その”音楽”を堪能する。その中でも、映画的な描写を見えやすくする「標題音楽」には、私の様な音楽の聴き方をする人間には、とても魅力的に感じるのである。文学的で、表情が見える程に感情的で、劇的な作品であるだろう。
 その中でも私が取り上げたいのはモダニズムとして活躍したモーリス・ラヴェルの音楽である。ラヴェルは、印象派の中にありながらも、ドビュッシーと同じく、”印象派”と呼ばれることを否定していた。モダニズムとして活躍する彼は、以前の様な古代の音楽用法を取り入れるなどではなく、西洋音楽に基づいて前の時代にあったこと否定し、新しい音楽を作り出すというネガティブ思考な作風であった。モダニズムバロック新古典主義、ジャズの要素が取り入れられ、細心の注意を払い、精巧に行われているオーケストレーションの達人である。ムソルグスキーの「展覧会の絵」のオーケストレーション編曲も行っている。ドビュッシーと異なる点は、ドビュッシーが様々な音色を重ねていくのに対して、ラヴェルは思いついた素材をそのまま使うのではなく、古典的な形式の中で音の響きを追求していた。モダニズムとして現代的で、流行にふさわしい中でも最新のものを創造するという姿勢、標題音楽を作っていることや、劇的な作品を作ること、反復技法を取り入れることなど、私自身の作品の作り方、考え方に似ている部分が多くあり、とても興味を抱いた。
 私は普段、音楽活動をしており、アートバンドとして、「終日柄」というクリエイティブチームを組んでいる。それはただ音楽をするだけではなく、多くの芸術分野を取り込んで幅広く活動する。私はその中でも、主に音楽と映像を担当している。私の作る音楽は電車の中や部屋の空気、雨と共に落ち込んでいく気分、溜息。刺激的ではなく人間的で、人肌みたいに柔らかくて暖かい。そんな弱酸性音楽を創っている。私は、ジャンルに囚われず、流行の中でも新しいジャンルであり、目新しさを取り入れている。その音楽にはストーリー性があり、一つの小説をいくつも紡いでアルバムにしたり、1つのEPに入っている3つの曲の中に出てくる主人公たちに関わりがあったり等、小説的、文学的要素を含む、「標題音楽」に当てはまるのである。また、同じコードを反復して使うことによってメロディの幅を広げ、展開するなど、ラヴェルの音楽に対する考え方や、取り組み方、作風が私自身の音楽に対する姿勢に大きく似ているのだ。
 ラヴェルの音楽の中で私が特に取り上げたいのは、ラヴェル標題音楽に分類される「夜のガスパール」である。この音楽にはかなり驚かされた。3曲で構成されるこの作品にはそれぞれストーリーがあり、それを彷彿とさせるメロディ、情景が思い浮かぶ。実際にあるそれぞれの詩を読みながらこの曲たちを聴くとより一層想像できる。実際に何か映画を見ている様な感覚。映画のサウンドトラックを聴いている様な。流れてくるメロディによって感情までが手にとるようにわかる。素晴らしい作品であり、私が目指している音楽、芸術作品そのものだと思った。この3曲にはそれぞれ主人公となる妖精がいる。第1曲「オンディーヌ」。人間の男に恋をしてしまった妖精オンディーヌが愛の告白を拒まれ、その後の彼女の叫び、情緒の揺らぎ、全てを表している。第2曲「絞首台」。変ホの音で表されている鐘の音に、混ざりながら聴こえてくる様々なコードやメロディが、その場で聴こえる環境音の様に、悲愴のなかに歩いている主人公の耳に入ってくる音を聴いている様な。第3曲「スカルボ」。部屋の中を駆け巡る妖精の様子を表すかの様に早く、細かく、複雑なアルペジオやメロディで出来ている。ラヴェルは巧みなオーケストラ編曲をするが、この「夜のガスパール」には管弦楽版がない。本人もそうだが、この音たちを聴いていて、さらに詩を読めば、オーケストラ的な響きの想像は容易い。実際にラヴェル管弦楽編曲を聴きたかったな、と惜しく思う。しかしピアノだからこその妖精の繊細な動きや、感情までも伝わりやすかったのかもしれない。
 話は少し逸れて私のラヴェルに対する熱い想いを多く綴ってしまっていたが、とにかく私が伝えたいのは、ラヴェルの音楽性にとても惹かれるという話だ。ラヴェルの楽曲にはもちろん標題音楽だけではなく絶対音楽に分類される作品もある。それもまた魅力であろう。ラヴェルの音楽に対する姿勢が私の目指すものそのものである為、大きく尊敬の念を抱いている。ラヴェルの音楽には繊細さがある、とても丁寧で、直感で作られている様な感覚を抱かない。意図してこの音が作られている、使われている、という構造、構成が分かる。いや、こんなたやすく”わかる”と口にしてしまってはいけないほど考えられているだろうけれど、丁寧にはめこまれたパズルの様に音たちが繊細に佇んでいる。その考え抜かれた音たちに、響きに、私は魅了されている。彼の、文学的で、感情的な、劇的な音楽を作る姿勢に習って、私もその様な音楽を紡ぎたいと思う。


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