堕ちる、

堕ちる、というのはどういうことだろうか。なんとなく、落ちぶれる、格が下がる、などそんな意味を連想するのではないだろうか。

私は私自身が、堕ちてしまったな、と思う瞬間がある。昔に比べて、18を過ぎてから「大人」というものを知りたくもないのに知ってしまい、汚れた、穢れた、ヘラヘラ笑って過ごすなんて、純粋さを失った、無垢でありたかった。なんてそんなことを思う。しかし、それを「堕ちる」と思っているのは私だけなのかもしれない。
友人に自分の最近の話をして「貴方は堕ちてないよ、自分をしっかり分かっていて持っているから大丈夫」というような事を言われた。

それからいろいろと考えた。

私にとって堕ちた、と思っていた事柄は、私を私として認識する為、私を私としている為に穢れた部分を洗い流すために自分の言葉で戒めていたのではないか。私はこうなってはいけない、と今までしばりつけていたものに少しでも足を踏み入れてしまうと、私は汚れた、と思っていた。しかしそれは、そうではなく、その汚れた部分を自覚することによって、まだ、正しく、清く、ありたかったのである。

私はまだ私を持っている。私が私であるために、私の汚れを少しずつ自覚しながら私を戒めている。自分の全てを愛する必要などないのだ。愛はあるのだから、無理にそれを押し付ける必要はなかった。これはいけない、と思うことは愛を持って罰せればいいし、これは素敵だと思うところは愛して大切にすればいい。堕ちたから、などと自分の人生を全て諦めてしまってはいない。私はまだ私であり続けることが出来るのだ。

よかった、今日も私は私で在られる。