自惚れや、自己愛などではなく、


今までずっと愛に飢えて愛に溺れていると思い込んで生活していました。
愛が足りないから頑張っている。愛がないから苦しんでいる。愛をもらえないから尽くしている。そんなふうに自分に言い聞かせながら音楽をしていた気がします。

少し前に私の人生が変わる出来事がありました。それはまったく嬉しいことではありませんが、誰も傷つけず、私が私と向き合う為の、私が私を戒めるための決断でした。その日からいろいろな事を考えるようになりました。

どうすれば私には愛が満ち足りるのか。どうしたら私は愛を必要としなくなるのか。愛ばかりを欲する日々から抜け出せるのか。

答えは出ていませんが、なんとなく、気づいたことがあります。私は、愛に溺れているのではない。私に、私自身に溺れているのだろうと。

それは、自惚れや自己愛などではなく、私の心の奥底に眠っている暗い部分、私に対する先入観、思い込みに溺れているのです。私は私自身を第三者から見た視線、と言いつつ、私はその言葉で自分自身を言い聞かせていたのです。
例えば、私は無音だと苦しくなるから、と言って音楽やテレビを鳴らしていたり、私には音楽しかないから、と音楽だけを続けていたり。その言葉が自分を縛っていたんだろうと思うのです。

私は私に対する思い込みを鵜呑みにして、自分で自分を苦しめていたのだなと思うと、なんとなく、愛が足りないのではなく、愛が満ち足りていたことに気づけていなかったのだろう、、、と。でもそれに気づけたからと言ってすぐに私が、全ての物事に対して私に対する先入観を取っ払うことは出来ませんから、まだ、私はこんな私と関係を続けていかなくてはなりません。

自分自身と向き合うというのは本当に難しいことだと思います。私たちはこれから先も、私たち自身とは別れられないのですから、少しずつ、私が、私の、1番の理解者になれるようにありたい、と。

私を宥めている


努力をすれば報われる
努力は無駄にならない
努力した分だけ結果に繋がる


そんな気持ちに縋って、大丈夫、大丈夫、私は頑張っているのだから。きっと報われる。いつか報われる。私は、頑張ってる。頑張れてる。大丈夫。なんて言い聞かせて沢山のことをこなす日々です。


今結果に出なくても。今評価されなくても。今はまだ実力が足りないだけで。そんな風に、それを原動力に、常に制作をしたり、受験勉強の時もそうだったかな、いつか報われると思わないと、努力なんて出来なくて。
大丈夫大丈夫、って泣きながら、あれ、なんで頑張っているんだろう、なんて悩んだり、苦しんだり。私は誰のために、なんのためにこんな事をしているのかと考える日々です。
でもやっぱり結局全ては自分の為で。私は私の為に努力をしているのです。
苦しくても、これから先の私の為に。未来の私が幸せであるために努力をする。

頑張っている、なんて認めてしまえば、言ってしまえば、貴方はそこから先へ進めなくなるので、そう思ってしまってはならない、と学校の先生が言っていたのをよく思い出します。でも、どうして。私は、私に、頑張っているよ、という事で私はもっと頑張れる。頑張っているんだからまだやれるよ、なんて私を宥めながら、よしよし、なんて涙をふいてやっているのです。私にはとても大切なことなのです。


昨日、加藤マニさんという素敵な映像監督さんのMV企画の優勝アーティストに選んでいただけて、私、報われた!なんて思っちゃって。これは全部、今まで頑張ってきたからだし、きょうのわたしの為に今までの私があったんだ、なんて。こうやって、日々嬉しいことがあると、今までの私の全ての行動を肯定できるんです。よしよし、頑張ったよ、って今までの私を、私の努力を、無駄じゃなかったよ、って幸せにしてあげるんです。今の私も、未来の私も、過去の私も、これで皆幸せになれる、肯定できる。1つ、幸せがあるだけで私の人生全てが肯定されるのです。私は日々、私を宥める人生なのです。

アイスティーと隠し事


「あの!ちょっとすみません、」


隣の客が手を挙げる。
その声に私たちの会話はかき消された。
いや、私たち、よりも私の声、と言った方が正しい。
貴方はずっと口を噤んでいる。
多分、私たちは今日でお終いだから。


「アイスティーを、ひとつ。」


あ、アイスティーか。
こんな寒い冬に、アイスティーを、頼むのか。
まぁそんなこと、私が口を出す理由なんてないし、アイスティーを飲みたくなる事だってあるか。でも私にはわからないな。この寒い時期に、、
なんて、今の会話を忘れてしまうくらい別の、アイスティーのことを考えていた。
結局私たち、いや、私の会話はそのアイスティーの注文に止められたまま、其の儘である。そして相も変わらず、貴方は何も発しようとはしなかった。

「あのさ、もう、私たち一緒に居るのは辞、」

「すみません。」

私が会話を続けようとすると突然貴方は手を挙げる。突然の事で私はとても驚いた。会話を止めてまで何を、、。

「アイスティーを、ひとつ。」

私にはわからなかった。何もわからなかった。感情を失った人形みたいに、私は突然のことに呆気に取られて固まっていた。貴方が突然私の会話を止めたことも、突然大きな声を出したことも、遮ってまでこのタイミングまで頼んだことも、アイスティーを頼んだことも。

アイスティーが来るまでの時間、私たちは無言を続けた。動かず、視線も変えず。そのまま。

アイスティーが来て、貴方は口をつけ、一口。そしてテーブルの上にそっと置いて言う。

「ごめん、なんだっけ。」

「いや、うん、なんでもなくて。美味しい?アイスティー。」

「うん。」

「なんで寒いのにアイスティーなの?」

「なんとなく、かな。今ちょっと、飲みたくて。」

「そっか。」

貴方がそれを飲み干すまで、私は貴方を見つめていた。ゴツゴツとしたその手も。下を向くと長くて女の子みたいなまつ毛も。癖で丸くなっている髪の毛も。白くて綺麗な肌も。全部が好きだったな、と思い返していた。そして貴方がアイスティーを飲み干す頃には私の「別れよう」という言葉を心に隠して、今日も何も言えずに終わってしまった。


「アイスティーと隠し事」 / 淡甘

文藝に耽っている

溜息をつく
息を吐く
幸せが逃げないように
その吐いた息を吸う

ゆっくりと流れる
時の歩幅は小さく
考えることは増えていく

音が鳴く
痛い、痛いからもう、
そんなにかき鳴らさないで
泣かないで、と。
私の苦しみをすくいあげる

影の多い日
どんよりとした空気
部屋に入った淡い色は
溜息をついているようで

海を見る
世界はこんなにも広いのか、と
私は小さくて、こんなものか、と
消えてしまっても
きっと誰も気づかない果てまで
歩いてしまおうか

人生に愛は必要か
愛のある貴方が言う
言葉に小さく隙間が見える
足を落としてしまわないように
ゆっくりと歩く

言葉は嘘をつく
心だけを取り出して
撫でてしまえばきっと
貴方の声が聴こえる

正しさを歪みで曲げる
ただ夏に蝉の鳴き声でかき消す
それは故意に、聞き返す
それは恋に、聴き返す

本能的に罪を償う心がある
本能的に愛する心がある
本能的に葛藤を描く
本能的に果を紡ぐ

文藝に耽っていた
言葉は私をあたたかくする
心を包む
日常さえも変えてしまえば
きっと忘却と静寂を育む
それはあたたかく
時に冷たく。
脆く、儚い糸を
細い針穴に通してしまえば。

今日も、雨は止まないみたいだ、

hinemosugara

私、バンドをしているのですけど、終日柄、というバンドを。今日は想いを綴りたいのです


私のバンドは、実は私が最年長の22の年で。ギターのe:宇宙旅行は21、ベースの深海ノ空とドラムの暮方薄明は19なんです。よく呟いていますが、なんと言っても私とえもちゃんよりも、19組の大人っぽさと言ったら、、、。いつもふざけているのは上2人で、冷静なのは下2人です。


実は、ここで初公開なことを言うと、結成して発表までの間に沢山のことがあって、メンバーがチェンジしてるんです。初期からのメンバーは私と暮方だけで。その後にえもちゃんと、空ちゃんが入っていて。メンバーがいなくなった時は、あ、このまま終日柄は活動できないまま消えてしまうのではないか、と何度も思ったし、諦めようかななんて思ったことも沢山ありましたし。暮方も私に合わせてくれている感じがしていたので辞めちゃうかな、なんて思っていて。そんな時に、「僕は続けるよ〜」って言ってくれたその一言一生忘れられないな、と思っています。その一言で、いや私も諦めてられない、頑張ろう。って思えたことで今の終日柄があります。よく口にしていますが、初期から続けてくれていて私に合わせてくれている、と思っていたので、いつもクールな暮方が、アー写撮影の時や制作をしている時にすごく楽しそうにしていると、本当に心の底から嬉しいです。暮方が楽しそうにしてくれているのを見ると終日柄もっと頑張りたい!もっとやれる!って思います。私の原動力です。


えもちゃんはその後に入ってくれて。えもちゃんギターまだまだ初心者なんです。私もなんですけどね。ベースとギターの2人以外はほぼ未経験で、私もドラムをしていたのでギターボーカルは分からないことだらけで。それでも毎日練習して必死にいいものにしようとしてくれてて、たまに、「今日はundo.を練習したよ!」なんて送ってくれて、可愛いなぁ、と思いながら愛をかみ締めています。


空ちゃんは時間差で私がベースいませんか〜って募集してたら興味ある!って入ってくれたんです。元々そこまで親しかった訳では無いんですけど、入ってくれるとなってからベースはうまいしこんなに優しい子近くにいたの?という位には優しいです。めちゃくちゃ気がまわります。そしてベースほぼ未経験な私には、とても助かる人材すぎます。


1人1人愛を語り始めるとキリがないんですが、私はメンバー全員の人柄も、個性も、本当に好きです。それぞれの感性が好きなので奇跡的だな、って思っていますとても。似ているようで似てないんですけど一致するところが全員にあって。それが何かは明確には分からないんですけど、何か波長の合う部分があって。メンバーといる時間とか、話している空間がとてつもなく愛おしいです。これから先どんな事があるか分からないしずっと続けられるかどうかなんてまだ分からないけれど、今はこの4人で高いところに行きたいです。苦しいことも皆で乗り越えたいです。いつも終日柄を応援してくださっている皆さん、淡甘としても応援してくださっている皆さん、本当に好きです。ありがとうございます。皆の言葉で本当に救われています。これからも終日柄を支えてください。よろしくお願いします。いつもありがとう。

流れる呼吸、逆流する滴

重力に沿って流れる方向がなんとなく生きる道だとして、逆流するとは生に逆らうということだとして。
少しでも今に未練があった少女は故意に逆流しようとしても結局重力の向きへ流れてしまい、未遂で終わってしまう話。


流動 / 終日柄


重力の方向に正しく、毎日を、撫でながら、なんとかバラバラになった自分をかき集め寄せて這うように生きている。世間では「 普通 」と呼ばれる所謂 “ 平凡 ”とやらを並べて自分を操る毎日に、突然の齟齬が生まれ、日常は狂ってしまう。

あの日の薄暗い早朝の気温は4度だった。涙は体温と同じ温度であるという。涙を落とせば、私の欠片が流れていくようだった。私は、私の欠片を落としながら、なんとなく空を飛び、宙を舞う。でも私はうまく飛べなかった。足の骨が砕け散ったがまだ私の心臓は音を鳴らしている。まだ、まだ、私はまだ私を終わらせられない。私はまだ、私と別れることが出来ない。まだ足りない、だから、だからもっと。藁を結んでカーテンのレールにかける。ちぎれて傷跡だけが残る。練炭を燃やしても、漏れる空気と、燃焼しきらない炭素。大きな海に歩いたのに気づいたら藻掻いてしまっていた。


いつだったか、君と話した。いつか多分、僕達は死ぬんだろうね、なんて言っていた君は、私より先に、いなくなってしまった。僕たち、なんて、いつも君の中にいた私は、いつ、消えてしまったのか。私たち、が、私、になった時、残された私は、どこに歩けばいい。どこへ向かえばいい。いつ、消えてしまえばいい、


私は何度も繰り返した。流れるように日常に従って生きること、日常に逆らって逆流する滴のように死を望むこと、流れるようにまた生きること、逆らって死に願うこと、、繰り返して、今日も、私は生きている。



終日柄 1st mini album 「忘却と静寂」より、流動

生を嗜み、死に想う

二十七才の私は、十五才の頃の私より、少しも賢くない。私ばっかり、ずっと、同じ場所にいる。

言の葉の庭という映画が好きだ。苦しい言葉を丁寧に掬って一つずつ並べているような心地良さがある。人間の暗い部分をとても繊細に紡いでいる。

私はこの年で二十二になるが、十五才の頃の私より賢いといえるだろうか。
社会に出て私は、大人を知った。愛を知った。汚さを知った。苦しみを隠すことを覚えた。悲しさを紛らわすことさえ出来るようになってしまった。賢さ、とはなんだろうか。

音楽というのは私の苦しみを助長する。しかし私は音楽に感情を載せている限り失ってしまえば感情を失ってしまうことと変わらない。私にとって音楽というのはそれだけ私を突き動かすものなのであろう。音楽に助けられ、音楽に苦しみながら生きている。

精一杯生きる、というのは何だろうか。

あるアーティストの曲の歌詞に「今ある命を精一杯生きなさいなんて綺麗事だな、」というものがある。精一杯生きる、というのは人によって考え方が違うし、生きることの価値も勿論違う。私は今この生を、精一杯生きている。私の中の私は精一杯だと、叫んでいる。しかし、この精一杯が尽きる瞬間というのはいつだろう。私が精一杯生を尽くせば、死に向かって良いのだろうか。

私は死ぬことを正しくないとは思わない。死にたい、と思うことだって人間の欲である。願望を否定する権利など誰にもない。私は私の生を精一杯尽くせば、死を想うことも良いのではないかと思っている。

こんなことを言っているが、私はまだ生を堪能するつもりで、まだまだやり残したことが沢山ある。私は生を嗜んでいる途中である、誰にも邪魔はされたくないし、例えば貴方が大好物なスイーツを食べている時に横で一口!なんて奪われたら嫌だろう、それと同じ感覚で、感情で。

私はまだ貴方と、生きるよ